バンコク隔離ホテル生活10
ホテルの部屋は、1回目のPCR検査の結果が出るまで全く掃除が入らない状態だったが、7日目の12月31日以降、3日おきに掃除サービスを受けることができた。掃除の時間は前日に電話連絡があり、その時間になるとスタッフがやって来て、掃除を開始。その間私は別室に案内され、そこで掃除が終わるまで待機する段取りだった。
隔離生活12日目の1月5日に2回目のPCR検査を受ける。この検査結果も陰性。これで無事隔離ホテル退所が決まった。
ホテル退所日の前日、隔離生活14日目の1月7日に、フェアウェルパーティを実施するので参加して下さいとの案内があった。パーティといっても会場での単なるディナー喫食だったが、それでも2週間ぶりのホテル部屋の外での食事だ。久しぶりの外食は、結構楽しみだった。
指定時間の午後6時になると、スタッフがやって来て、ディナー会場まで案内される。食事は洋食のフルコースだった。メインコースのグリルポークは柔らかく、結構美味しくいただいた。
会場には20人ほどの隔離客が集まっている。食事時間は何回かに分けられているので、この日のディナー参加者は40人程度だろうと推定した。ということは、15日分の隔離ホテル利用者は600人程度という事になる。実際には曜日ごとのバラツキもあると思うので、宿泊客は400人くらいだろうと見積もった。ホテルの部屋数は500室程度なので、結構な稼働率だ。
食事を終えて、荷物をスーツケースに詰め込む。2週間隔離されたこの部屋も、とうとう最終日だ。部屋の電気を消して、カーテンを全開にする。アソークのビル街の照明で、部屋がボンヤリと照らされている。隔離生活は大変だったが、それでもスイートルームに2週間も滞在できたのは滅多にできない経験だ。最後のウイスキーを飲み干しながら、感慨深く最後の夜を過ごした。
翌朝、全ての荷物をスーツケースに収めて、ホテルフロントにチェックアウトの連絡を入れる。スタッフがやって来てたので、部屋を出て一緒にエレベーターに乗り込む。特に清算もなかったので、あっさりチェックアウトは完了した。娑婆に出た私は、タクシーに乗り込み10か月ぶりのアパートへと戻った。
後日アソークに出向いて、ターミナル21を訪れた。今までは気が付かなかったが、ターミナル21の屋上に確かにホテルの庭園が広がっているのを確認した。